Vienna Philharmonic Orchestra Christian Thielemann, conductor
ベートーヴェン作曲 交響曲第5番『運命』。
あまりにも有名なこの曲。
実はまだ一度も演奏したことがない(譜面ピースで練習くらいはした事があるけど)。
ロマン派の中でも古典派に分類されるベートーヴェンはバロック様式を継承しつつも、最新式かつ彼のみが使いこなした高度なオーケストレーションを駆使して沢山の名曲を残している。
Universal Music LLC
2007-04-09
この『運命』にも新しい試みとして、それまで交響曲に導入されていなかったトロンボーンが用いられている。
俺の親父は典型的な理系人間で数字には滅法強いが音楽などの芸術にはまるで門外漢だった(文学には強かった)。
そんな親父なのだがこの『運命』は大のお気に入りだった。
俺がトロンボーンを始めると「いつかオーケストラに入ってお前の吹く『運命』を聴かせてくれ」などとよく言われていた。
暫くオーケストラで活動する期間があったのだが、会う度に「おい、まだ『運命』はやらないのか?」などと訊かれ辟易していたのを憶えている。
個人的にはワグナーやブルックナーなどの作品を好んでいて、当時所属していたオーケストラもそういった作品を頻繁に演奏していた。
それでも第九交響曲を演奏する事になった時には同じベートーヴェン繋がりで嬉しかったのか演奏会用の衣装を新調してくれた。
演奏終了後に客席でスタンディングオベーションをしてくれていたのを見つけて嬉しいやら恥ずかしいやら複雑な気持ちだった。
その後、俺はJAZZやLatinに傾倒していくこととなり、ベートーヴェンの作品を演奏する機会は殆どなくなっていた。
それでも顔を合わせると「『運命』はもうやらないのか」と言われ鬱陶しいのもあるが、反面申し訳ない気持ちもあった。
初めて手にした楽器は親父が全額負担して買ってくれたものだった。
恐らくその時から俺が『運命』を演奏することを楽しみにしていたことだろう。
親父は脳梗塞で倒れた。
入院生活を経てみるみる衰弱していく姿を見るのは痛々しかった。
俺は既に実家から遠い土地に住んでおり、そろそろ危ないと言われた時期でも週一回くらいの見舞いがやっとだった。
衰弱と共に記憶も曖昧になっていき、お袋や俺の顔を見ても分からない事が多くなった。
それでも調子のいい時には俺に気付いて「『運命』は演らないのか」と訊かれたのには驚いた。そんなに俺が演奏する『運命』が聴きたかったのにも。
「まだ演らないよ。でも近々演奏することになるかもしれないから早く良くなって退院して聴きに来てくれ。」と言うと嬉しそうに笑うのだが、すぐにまた記憶が遠くなるのか俺が誰かもわからなくなってしまう。
親父が逝ったのはそんな状態になって割と早かった。
報せを聞いて急いで駆けつけたが間に合わなかった。
病院に到着すると衰弱しきって見る影もない親父がもう動くことも喋ることもなく横たわっていた。
火葬場から親父の入った骨壷を抱きながら話しかけた。
「悪かったな。結局、俺の演奏する『運命』は聴かせられなかったな。」
この交響曲五番はあまりにも有名な人生の扉を叩くとされるフレーズに始まり、壮大で神々しくも勇ましいフレーズで曲が締められている。
親父は親父の運命をしっかり生きたのだと俺は信じたい。
親父、ベートーヴェンのヤツは無理だったけど、特等席で俺の『運命』を楽しんでやってくれ。
あとでそっちに行ったら感想を聞かせてくれよな。