医療少年院への収監を経て名前を変え暮らしているのは45,000歩程譲って所謂『償った後の余生』として受け入れざるを得ないものなのだろう。
未だ反省や謝罪の言葉が無いことも自分が犯したあまりにも甚大な罪と対峙する勇気がないこそすれと理性の瀬戸際で耐えもするかもしれない。
しかしこいつはその犯罪を切り売りしてきたのである。
書籍出版にしろサイト開設にしろ、そこに今もまだ哀しみに胸を痛めているご遺族に対する謝罪はおろか気遣いさえもない始末。
想像に容易いのは生活苦解消を目論んでの短絡的解決手段、つまり過去の切り売りを行うという世にも醜悪な補填だ。
少なくとも社会的にも経済的にも自己顕示力を持たない(サイト開設は別だが)元犯罪者が手記の出版という大それたことが可能になった根幹には理念も道徳も持ち合わせないメディア資本が加担したからに他ならない。
過去、山口県で発生した母子殺人事件の犯人が当時未成年にも関わらず死刑判決が下るにあたり争点となったのは責任能力の有無と更生の可能性である。
今回のこの行動は更生完遂の上での行動かというのか。
医療施設に於いて自ら行った罪の大きさを理解させ贖罪を理解させた末の行動かと言うのか。
結局はあのころのサイコパス少年をわざわざ熟成させ放流したにすぎないのではないだろうか⁈