ビッグバンド、オーケストラ、吹奏楽・・・。
概ねジャンルに関係なく指導者が極端に神格化されてることがあるよね。
今までの音楽活動の中で幾つかそういう所に出くわしたことがあるよ。
若いうち、特に学生のうちなんかはそういうシチュエーションを比較的少ない抵抗感で享受出来たんだけど、今は駄目だなぁ。
気持ち悪い。
音楽の面で圧倒的な発言権があるのは当然としても、何故かこの類の人達は人間として優位に立ってこようとする。
この明らかな勘違いにはプロセスが存在する。
それはメンバーが「先生、先生」と崇め奉っているから。
時に卑屈にも取れる位の勢いでそんなことされていたら勘違いの一つや二つしちゃうってもんだよね。
んでもって教祖が誕生。
更に日々、メンバーがその調子でちやほやするもんだから増長もしちゃう。
行き着く先はメンバーの人格なんか無視だから要求は『王様ゲーム』さながら。
「俺の無茶をきけるのだから有り難く思え」といった具合。
揚げ句、演奏技術が低いメンバーには「お前は人間性が貧しいから下手なんだ」などと意味不明な難癖まで飛び出す始末。
これがもし教祖が演奏家として現役でメンバーをはじめとしたそこらの有象無象の追随を許さない程の腕前だと体裁として少しはマシなんだけど。
既に引退して楽器の腕前としては見る影もなく落ちぶれてしまっていたり、指揮者や指導者として直近で明確な成果(本人や指導団体等の受賞歴)がない場合は目もあてられないよね。
強烈なカリスマ性をもってなされる牽引力という世界観は確かにある。
しかし概ねこのような教祖運用にそういった魅力を感じたことがない。
『実る程、頭を垂れる稲穂かな』
質実素晴らしく秀でた指導者や演奏家には信じられない程に謙虚な方がいたりする。
汚らわしい教祖との遭遇をまるで相殺してくれるかのように、そのような音楽家に出会うことが出来たのは正に不幸中の幸である。
彼等は驕らずともその破壊力満点の実力で本物の敬意を集めているのである。
音楽を愛すればこそ、秀でた先人を尊敬すればこそ、そうした俗物的な階級構造があることが哀しい。
美しい音楽を奏でる経緯が教祖や、それを取り巻く無知にして心の脆弱な傀儡の自慰であってはならないと想うのだ。
概ねジャンルに関係なく指導者が極端に神格化されてることがあるよね。
今までの音楽活動の中で幾つかそういう所に出くわしたことがあるよ。
若いうち、特に学生のうちなんかはそういうシチュエーションを比較的少ない抵抗感で享受出来たんだけど、今は駄目だなぁ。
気持ち悪い。
音楽の面で圧倒的な発言権があるのは当然としても、何故かこの類の人達は人間として優位に立ってこようとする。
この明らかな勘違いにはプロセスが存在する。
それはメンバーが「先生、先生」と崇め奉っているから。
時に卑屈にも取れる位の勢いでそんなことされていたら勘違いの一つや二つしちゃうってもんだよね。
んでもって教祖が誕生。
更に日々、メンバーがその調子でちやほやするもんだから増長もしちゃう。
行き着く先はメンバーの人格なんか無視だから要求は『王様ゲーム』さながら。
「俺の無茶をきけるのだから有り難く思え」といった具合。
揚げ句、演奏技術が低いメンバーには「お前は人間性が貧しいから下手なんだ」などと意味不明な難癖まで飛び出す始末。
これがもし教祖が演奏家として現役でメンバーをはじめとしたそこらの有象無象の追随を許さない程の腕前だと体裁として少しはマシなんだけど。
既に引退して楽器の腕前としては見る影もなく落ちぶれてしまっていたり、指揮者や指導者として直近で明確な成果(本人や指導団体等の受賞歴)がない場合は目もあてられないよね。
強烈なカリスマ性をもってなされる牽引力という世界観は確かにある。
しかし概ねこのような教祖運用にそういった魅力を感じたことがない。
『実る程、頭を垂れる稲穂かな』
質実素晴らしく秀でた指導者や演奏家には信じられない程に謙虚な方がいたりする。
汚らわしい教祖との遭遇をまるで相殺してくれるかのように、そのような音楽家に出会うことが出来たのは正に不幸中の幸である。
彼等は驕らずともその破壊力満点の実力で本物の敬意を集めているのである。
音楽を愛すればこそ、秀でた先人を尊敬すればこそ、そうした俗物的な階級構造があることが哀しい。
美しい音楽を奏でる経緯が教祖や、それを取り巻く無知にして心の脆弱な傀儡の自慰であってはならないと想うのだ。