グスタヴ・マーラー作曲 クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー交響楽団 『交響曲 第三番 第六楽章』
標題『愛が私に語るもの』。
第1楽章では相当長尺のトロンボーンソロが朗々と演奏されることで有名なのだが、自分は最終的に終楽章となった(もともとは七楽章『子供が私に語るもの』があったが、諸説ある理由で交響曲第4番に転用されることになった)この楽章が至高と信じて疑わない。
もし自分に人並みの葬儀が行われるのだとすれば、この曲を流して欲しいと遺すだろう。
自分のエンディングはさておき、年末、通常であればベートーヴェンの交響曲第9番を聴くのが習慣となっているが、自分はこの交響曲を第1楽章から終楽章まで聴くことにしている。
因みに友人はシベリウスの交響曲第1番を聴いているそうだ。どうせ行く年の回想と来る年の展望を馳せるのであらば自分の好きな曲を聴くに限る。
愛する事で覚える愛。
愛される事で覚える愛。
双方の覚醒、または邂逅を以ってして愛が語りかける言葉に耳を傾ける意識が芽生えるのだろう。
顕示や憐憫に囚われ我を見失う中で垣間見るのは錯覚という愛の残像に過ぎず、沈んで行く淀みに安堵し何時しか愛そのものの存在さえも忘却してしまう愚かさを嘲笑するのでは無く、戒めとして進む道標こそが愛の語りかける言葉なのだろう。
限界まで絞ったオーケストレーションの中に響く金管は天上からの啓示を想わせる神々しさを湛え、愛という疑わしいその存在が実は我々の心の中にこそ刻まれていることを教え示してくれているようにも感じる。
まずは讃えよう。
音楽という至宝が育んでくれた愛を携えた我々の素晴らしき人生を。
まずは讃えよう。
その力強き歩みによって得られた幸せという糧の恵みを。