スケープゴート。
いじめの経緯構造に例えられる一端である。
色々な虐げを見聞きし体験もしたが、まさにこの構図に触れることは初めての経験なのかもしれない。
権威や権力、実力で押さえつけられている人間は鬱屈としたストレスを重ねているのだと思う。
そんな中にあって抵抗が薄かったり絶無の対象者を見つけると自分の支配力をディスプレイするような暴力(言葉も含む)を行う。
一度、この破壊衝動に魅せられた人間はなかなか抜け出せない。
何故ならば人間という社会性によって画一化される運命に従いながらも誰しもが解放してみたい本能なのだから。
カニバリズムのようなものなのかもしれない。
自分たちと比べて劣っていたり弱っていると認識した個体を嬲り辱め略奪と陵辱の限りを尽くす。
加虐側は自身の破壊行動に興奮し酔いしれる。
故に残虐性の加速度は天井知らずだ。
いじめに大義など存在しない。
いじめに正義など存在しない。
いじめる側の破壊衝動と征服欲を満たすだけのオナニーだ。
殺戮にも似たこの愚劣な行動に対して有識者と呼ばれる傍観者、穏健派と呼ばれる無能者の静観というもう一つの暴力が取り返しのつかない悲劇を量産してきたことは言うまでも無い。
加害者、被害者。
双方の当事者の環境を激変する以外でことの解決を聞いた例が無い。
ある時は加害者の排除。
ある時は被害者の排除。
ある時は加害者の自害。
ある時は被害者の自害。
いずれも哀しみは波及し各々に深い傷を残す。
あるいは仕方の無いことなのかもしれない。
それでも被害者側が割りを食う結果にさえならなければ僅かばかりの慰めにもなるのだが。
俺はこの問題に直面している。
どの様な舵裁きで、どの様な結論を出そうとしているのか。
正直なところまだ一筋の光明さえ見えていない状況だ。