月光楽房

紡ぐ音の徒然、憂いながらもその煌きに魅せられた日々の軌跡

演奏活動

引退

実際にここ数年何も出来ず宣言するまでもない状態だったのですが。

それでも色々と葛藤はありました。
体調やスケジュールをやりくりすればなんとかなるかなと。

しかしながら体調を含めた様々な不安定な状況を鑑みた結論として演奏活動からは身を引く事に致しました。

今後はDTMなどマイペースで出来る音楽活動をしていくつもりです。

これまで演奏活動をご一緒して下さった方々に心からお礼を申し上げます。
楽しい時間をたくさん過ごさせて頂き本当に有難うございました。
皆様の御活躍を楽しみにしております。

機会がございましたら直接お礼申し上げさせて頂きたいと思いますが、取り急ぎここでのご挨拶とさせて頂きます。

色々な形での音楽活動

リアルな音楽活動がままならないともなれば…。
やはりDTMに走りざるを得ないな。

とはいえ波形編集などというスキルは持ち合わせていないのでスコアエディタに作業は限定される。
Singer Song Writer Start
インターネット
2011-03-18


以前使用していたツールがOSの更新に対応していなかったため新調しなくてはいけないのだが。
そうそう高価なソフトを購入する余裕などある筈も無く、そんなに高性能ではなくても最低限の音符編集が出来るような申し訳程度のものを探しているところ。
初音ミク V3
クリプトン・フューチャー・メディア
2013-09-26


導入時にはまたご報告する予定でやんす。

新しい一歩を踏み出す為に必要な清算

懐かしむ頃とは決して取り戻せない距離にあるものだ。
例え僅かな寸断であっても、その時点で過去という分類にカテゴライズされてしまうからだ。

取り敢えず、奴らのことは忘れよう。

成果

人情は大事だけどな。

人情だけで音楽やりたいなら、ビックバンドなんてやめちまえ。

お前の居場所があったでも作ってくれやしない。
自分で作るしかないんだよ。
その手伝い位をしてやったつもりだよ。

俺に噛み付くくらいなら、それだけの演奏してみろっていうんだよ。

まずは、お前の俺に対する態度を悔い改めあやまりに来い。

再始動に向けて3

近日中に頃合いを見計らって音楽活動を再開しようと思う。

音楽活動再開するにあたって課題がいくつかある。
(1)今まで活動していたビックバンドについて。
(2)新規ユニットの組閣。

従来活動していたビックバンでも活動続けるにあたって困難とされる案件がある。
1つはリハーサル会場が遠いこと。
もう一つはトロンボーンセクション内で人間関係がギクシャクしてしまっていること。
特に2つ目はモチベーションの根幹となっていただけに致命的ではある。

何かしらのけじめが必要だが、ビックバンドはやめようと思う。
個人的課題としてまだまだやり残したことがたくさんあったのだが。
物理的にも精神的にも継続は困難だ。

久々のチャンスだ。
納得のいく方向の牽引は難しいかもしれない。
それでも自分のユニットを持つという事は自分の納得のいく音楽活動をするための近道だ。
責任と労力はその対象となるが。
それでも再び挑戦する価値があると確信している。

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変遷

本来であればコンスタントに継続したいのがバンド活動。
しかしながら社会人バンドマンとして正常化された生活があってのものだと俺は考えているのだ。

これまでに何度かの節目と遭遇する中でその活動を休止せざるを得なかった。
あるものは頓挫し、あるものは継続が叶った。

数少ない継続のケースこそがこのblogで活動報告をしてきたバンドである。

今回の転機は二度目の入院である。
しかしながらバンド活動の継続に対して思案するようになったのはその直前なので直接原因ではなくちょっとしたトリガーに過ぎない。

進退については未だ迷ってはいるものの、ここまでお世話になった場所だからね。
筋を通した決着が責務だ。

決着。
意思の表明。
タイミングもさることながら、そもそも機会が与えられることさえも保証などない。

仮に退くことになったとしてもバンドは何事もなかったかのように動いていくだろう。
それでいいと思う。
誰かが俺の責務はなんなく代行するだろう。
このバンドを紹介してくれた恩師が去った時、実際は死活的なダメージがあったにも関わらず、なんとなく補填策が施し納まったのだから。

寧ろ、活動の限界を感じるトリガーとして自分の中ではこれ以上ない喪失ではあった。

去就を検討する上でどうしても無視できない課題はある。
前述した恩師への面目だ。
紹介者としての面子を潰してはならない。
正直、自分ではやれるところまで頑張った自負はあるものの、それを決めるのはあくまでも遺された者達の評価である。

やり残していること、やりたかったことはまだまだある。
しかしその試行には賛同と総意としての明確な目的意識が必要とされるのだ。
この部分を主張することは調和を乱すことになり不要な軋轢を引き起こす。
・・・
そしてそれは不用意に自分の膝元で起こってしまっている。

どこかのタイミングで一度顔を出して判断の材料にしたいと思う。
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自意識過剰

いわゆるところの感覚系の天才肌プロミュージシャンが時々発信する音楽感。
抽象的な表現が前面で普通の人には理解出来ないことって多いよね。

話している本人は気持ちいいけど、客観的に見たら質の悪い自慰行為。

でも酒なんか入ったら自分もそんな話をしてるんだろうな。
だからあんまり責められないけどね。

傍目で聞いていると不快この上ないんだろうね。
俺は不快に感じたよ。

制限と限界1

現在は諸事情で休止している音楽活動。
活動の中心が市民吹奏楽団が母体となり結成された社会人ビッグバンドである。

数名程、素晴らしい名手が在籍しているものの基本的には吹奏楽の延長で見真似でジャズを楽しむ水準である。

自分がリードを担当していたトロンボーンセクション。
一人、楽器リペア系専門学校で部活として少しフルバンを経験しているくらいで他のメンバーは前述したスタンスである。

スタンスに関する解釈は様々かとは思うけど、人情人間関係が活動の意義筆頭となる傾向がある。
初級中学校吹奏楽部にある年功序列最優先としたセクション構築が特徴的だ。
スキル優先のパート配置には理屈では理解出来ても感情が許さないようであり、これを過剰程の説明を怠り実施するとたちまち軋轢が生まれてしまうのだ。

リードとして生成する音を優先し、寧ろ意図的にパート再配置を実施したところ予想外に一番気を使ってコミュニケーションを取る事を心掛けていたメンバーとの間に溝を創ってしまう結果となってしまった。

明らかに状況を読み誤った自分の不用意は否めないだろう。
アマチュアとして求道する程度の問題はあるものの、それまで自分が考えるリードとしての責務について自ら疑問を感じずにはいられなくなったのだ。

決定的ではないにしろ自分の中での結論には漠然ながらも辿り着いているのだ。
もうここに自分の居場所は無い。
身を引くべきであろうということ。

まだまだ音楽活動の再開はメドが立ってはいないけど、復帰先を失ってしまうのは心許ない。
そういった背景もあり悩んではいるのだが・・・。
もっとも既に事実上自分の居場所は無い可能性のほうが大きい。バンド側から何の伺い連絡もないしね。

決して心残りが無い訳ではないものの、それなりに納得出来ている期間もあった。

新天地を前提に未来を模索する方向で思案しよう。
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大排気量の破壊力と魅力

とあるミュージシャン兼評論家の弁。
圧倒的な声量や技術があっても聴く側のツボを押さえなければ感動出来ない
例えば高圧で放水できる消防車でも現場へ急行できなかったり、そのパワー故に消化点に照準を合わせられなければ意味がない
とのこと。

なるほど。
おっしゃる通り。

んでもってミュージシャンでめあるコイツがどれほど歌えるのか興味が沸いた。
聴いてみた。
・・・
ま、コイツは全体的にもう少しクロックアップしたほうがよさそうだ。

ぃあぃあ。
概ね納得なんです。
だって音楽はスコア(点数)を競うものではない。
寧ろ整体師や鍼灸士のように各々や大衆の最大公約数となるツボを捜し当て絶妙の加減で処置を施すようなもの。
まさに精密作業といって憚らない。

しかしながら圧倒的な質量で統べてをねじふせてしまう音楽もある。
それは先日急逝したホイットニー・ヒューストンや伝説と呼ぶに相応しいフレディ・マーキュリーメイナード・ファーガソンレイ・アンダーソン、チャーリー・パーカーなどなど。


いわずものがな彼等には成層圏の域に達した高い音楽性が根幹にある。
しかし奏でられ紡がれる調べは破壊的にして威圧的な技術と圧力が聴衆の意識を刈り取って行く。
Core i7xeonプロセッサを搭載制御され轟音を立てる巨大エンジンで突き進むユンボやダンプカーみたいなもの。もはや理屈は通用しない。

間違いなくそういった豪快さも音楽の醍醐味に違いないのである。

ディテールとして対極にあるマイルス・デイビスアート・ファーマーらも整然としたなかに凄みを湛えた音楽である。

つまり音楽の善し悪しを語るのに比喩を織り交ぜれば都度に陳腐になってしまうということ。
オチとして長々と前述した自分の戯言こそがソレにあたるということを先にツっこんでおく。

こうした悩みを発信する側から持ち続けられる人ではいたいものだ。

奏で続ける意味とか

環境的なもの。
身体的、健康的なもの。
様々な理由で自分にとっての音楽について
考える時間の中にいる。 つまりは楽器、演奏活動の再開継続について。 仕事繁忙で演奏活動に対する情熱が
阻害されているのは明らか。 再開する前提としても今までのバンドに戻るかも思案。 かといって次のバンドのアテがある訳でもない。 必然的に流浪を余儀なくされてしまうだろうが。 色々な経緯があってセクション内での関係性も微妙になっていて、
回帰についつも正直気乗りがしないのが正直なところ。 心血を注いだセクションの人間関係がやむなくも
些細な事由で破綻しかけてしまっていることが正直なとこら一番の落胆。 あそこに戻ったとしてもそれ以前の情熱が取り戻せるとは思えないのだ。 まだ答えは出ない。

楽典とかセオリーとか

音楽は心だ。
微塵も異論はなし。

漠然を加工し多くの共感を得る為には手段が必要だ。
それは演奏という表現であったり。
それは編集記録という作業であったり。

いずれのプロセスも高品質を実現させる為には同様に高い水準での理論と技術が介在するのが寧ろ自然である。
しかしながら手段のクオリティとは常に意識されるものではなく、必ずしも正しい理解がそこにある訳でもないらしい。正に天賦の人はそういう位置にあると言っていいだろう。

それでもそうした高次元での体現を行える表現者は理屈での説明をせずとも、そこに至るまでの構築プロセスをもって整然と演奏や創作に対する必然を解くことが出来る。
当然の如く悪戯に技術や論理をおとしめる発言などもしない。

称賛に値する音楽とは送り手側に根付いた明確かつ洗練された理解を根幹とし、相応しい表現力によって発揮され人の耳と心に届く。
理解とは経験や教授によって種が育まれ試行錯誤の末に華を咲かせる。
脳内で完熟した果実は途方に暮れるような反復で習得した技術、及び集積された知識との按分の末にたどり着いた独自性、実直に積み重ねられた基礎経験という器具により収穫される。

独創性や慣習に対し凡庸とする反骨心など最後に集約された表面上のスタイルだけが独り歩きし広く伝承されているのは安直にして俗物だ。
手っ取り早く音楽という芸術を玩具として玩びたい俄かクリエーターがたどり着く答えである。

音楽、ひいては芸術の善し悪しを決定づけるのが心であるということ。
それは決してきらびやかなだけではない研鑽と積算を惜しまない健やかな心であるということ。

「音楽は学校で勉強するようなもんじゃない」
「技術が音楽の質を決めるものじゃない」
以前の記事でこのように宣ったミュージシャンを糾弾したところ、忘れた頃に彼を擁護するコメントがあった。
自分としてはなかなかに大切なメッセージを含む話題でもあったので新たに書き記してみた。

決して気軽に音楽を楽しむことが悪いわけではない。
そうした素直に楽しく向き合う中からも名作は生まれる筈だし、何よりも音楽こそが心まかせに楽しむべき存在である。
しかしながら身近さが誤解され、はては軽視になっているのであれば論外ではあるし、それがまるで解ったかのような達観で騙られれば不愉快この上ない。

音楽などの芸術。
それは身近にして愛すべき隣人。
そして畏れるべき学理である。
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再会

療養中にネットで知り合った方に再会。
懐かしい。
少し気分が晴れやか。

教祖のいる光景

ビッグバンド、オーケストラ、吹奏楽・・・。
概ねジャンルに関係なく指導者が極端に神格化されてることがあるよね。
今までの音楽活動の中で幾つかそういう所に出くわしたことがあるよ。

若いうち、特に学生のうちなんかはそういうシチュエーションを比較的少ない抵抗感で享受出来たんだけど、今は駄目だなぁ。
気持ち悪い。

音楽の面で圧倒的な発言権があるのは当然としても、何故かこの類の人達は人間として優位に立ってこようとする。
この明らかな勘違いにはプロセスが存在する。
それはメンバーが「先生、先生」と崇め奉っているから。
時に卑屈にも取れる位の勢いでそんなことされていたら勘違いの一つや二つしちゃうってもんだよね。

んでもって教祖が誕生。
更に日々、メンバーがその調子でちやほやするもんだから増長もしちゃう。

行き着く先はメンバーの人格なんか無視だから要求は『王様ゲーム』さながら。
「俺の無茶をきけるのだから有り難く思え」といった具合。
揚げ句、演奏技術が低いメンバーには「お前は人間性が貧しいから下手なんだ」などと意味不明な難癖まで飛び出す始末。

これがもし教祖が演奏家として現役でメンバーをはじめとしたそこらの有象無象の追随を許さない程の腕前だと体裁として少しはマシなんだけど。
既に引退して楽器の腕前としては見る影もなく落ちぶれてしまっていたり、指揮者や指導者として直近で明確な成果(本人や指導団体等の受賞歴)がない場合は目もあてられないよね。

強烈なカリスマ性をもってなされる牽引力という世界観は確かにある。
しかし概ねこのような教祖運用にそういった魅力を感じたことがない。

『実る程、頭を垂れる稲穂かな』
質実素晴らしく秀でた指導者や演奏家には信じられない程に謙虚な方がいたりする。
汚らわしい教祖との遭遇をまるで相殺してくれるかのように、そのような音楽家に出会うことが出来たのは正に不幸中の幸である。
彼等は驕らずともその破壊力満点の実力で本物の敬意を集めているのである。

音楽を愛すればこそ、秀でた先人を尊敬すればこそ、そうした俗物的な階級構造があることが哀しい。
美しい音楽を奏でる経緯が教祖や、それを取り巻く無知にして心の脆弱な傀儡の自慰であってはならないと想うのだ。

奏でる心

演奏活動をするときの最適な精神状態は当然各々で異なって来るとは思う。
プロ、アマ問わず良い演奏者は意識してそれをコントロールしているんじゃないかな?

そんな中で結構難しいのが負方向の感情を抑制することじゃないかと思うんだよね。
それが自分にとっては『焦り』『妬み』。

思うように演奏出来ず、解っている筈の対策に手が着かなくなってしまう程の『焦り』。
他人の成功が自分の努力に対する不当に感じてしまったり、報われない錯覚に囚われてしまう『妬み』。
この双方は日々積み重ねて行くべき研鑽に対して大きな邪念としてたちはばかり、その進捗を著しく阻害する。
厄介なのは一心不乱に活動している時にこそこの悪魔は生き生きと憚るんだよね。

理由こそ体調不良というやむなきもので現在活動を休止しているのだが、こんな時だからこそ冷静にアナライズできることだったりするんだな。

編成の大きいバンドに於ける活動を念頭とした場合に、最良のモチベーションは自分個人だけではなしえない。
最低でもセクション単位での意識統一が必要。
またステージでのパフォーマンスにそういった意識効果を反映させるのであればバンド全体の統一が必要であることは至極当然であろうな。

最小単位であるミニスターはセクションのリードである。
統括するのはコンサートマスターである。

大編成バンドに於けるリードやコンサートマスターは技能的主幹であると共に、地場の空気を支配できるタレントである必要があるのだ。

しかしながら指導者にも賞味期限が存在する。
牽引力の源となる信念がどんなに修悦でも飽きられてしまいからだ。
このような事態にあって指導者は心身に大きな疲労とダメージを蓄積し、他メンバーのモチベーションも著しく消耗しているものなのだ。

回復に効果的な得策がある場合もあるが、往々にして休息こそが最良の施策になりうる。

今の自分にあてはまる気がするのだ。

備忘録&諸々考察

今、参加しているバンドを継続していく場合の問題点。
■リハーサル及び活動地域の遠隔と限定
■曲目の趣向性不一致及び統一性の無さ
■バンド全体のジャズやコンテンポラリに対する造詣の低さ
■バンド全体としての活動に対するモチベーション
逆に継続の利点。
■比較的良好な人間関係
■サックス・セクションとギタリストの稀有にして高いスキル
■既に離脱してしまっているものの恩師との接点
■経済的負担の少なさと運用丸投げ
こんなところかな?

今のバンドに参加するにあたって自分なりに自分に課したテーマがあった。
一般的なフルバンドでのリードプレイ。
これに関しては完成度を問わなければ存分に体感できたのではないかと思い結構な満足感があったりする。

もし同じ方向性で満足度を追求するのであれば、自分のスキル向上は勿論だけどバンド全体としての変化が求められるだろう。
しかしながらバンマスが目指す趣向指向からしてその実現は極めて難しく、また、それを強く要望することはバンド全体の意志に反することなのかもしれない。

このまま我慢して細々と楽器という趣味を続ける手段として今のバンドを続ける道もある。
それなりに魅力ある選択肢であることは先に挙げた継続にあたっての利点が示している。

しかしながら衰えて行く体力に対する懸念や、貴重な週末の消費を考えると、どうしても検討も余儀ないのだ。

大前提としてフルバンドや、それに準じる大編成ユニットを主催する体力は今の自分にはない。
いい所、各々が自立した行動と自発的な協力を提供してくれる人数のコンボ程度が限界だ。

または既存するビッグバンドへの加入である。

いずれにしろ活動に耐えられる健康の復調が先ではあるけどね(笑)
続きを読む

おやすみちぅ

ということで。
またまた体調が悪く音楽活動は休止中。
今回は復調までに時間がかかることをバンマスに明言した。

それでもなんとか落ち着いてきたのでblogは再開。
復帰までの記録も残したいしね。

・・・
それでも色々懸案はあるのですよ。
例えば今のバンドを続けられるのかとかね。

実際、今のバンドの練習会場は遠く、通いが不便。

そういったことも色々これから考えてみますわ。

トロンボーンかくありき

ソロの魅力が他の楽器と比べても損なわれないことは言わずもがな。それでもトロンボーン最大の魅力はユニゾンやハーモニーのようなセクションにあると思う。故にチームとは一期一会。互いを知り溶け合う事が大切。 #trombone

練習方法について

先日の呑み会で恩師から頂いた有り難いお言葉。「やりたいことを前提に基礎練習はすべき。基礎練習自体が目的になるべきではない。」納得。まず散らかった鱗を片付けてからプランニング。トロンボーンを含めた音楽の話。 #trombone

雷らっぱ

恩師から頂いたライアン・ヘインズの『ライク・サンダー』ソロ・トロンボーン譜を音を聴きながら熟読。12/8で拍子が採られている意義と難しさを痛感。それと最後の音が譜面ではHighDになってるけどDoubleHighぢゃね?

いけすかないトロンボーン

トロンボーン使いには仕切屋の血が流れているケースが多い気がするのだが。場合によっては鼻持ちならないキャラクターに映ることもある故自重。あ、ぃゃ、つい最近も実例を見てしまったので。 #trombone

偽ラテン撲滅

やはり頑張って譜面を書いて今のバンドに70's,80'sの本格的なサルサを導入したい。近隣で偽ラテンやってるバンドの勘違い様を見て虫酸が走る思いをするのはもう堪え難い。 #BIGBAND

サルサはいい

昨日から意図的にサルサ三昧。自分のHomeGroundの確認ってところ。4ビートは魅力的でトロンボーンのPOTENTIALを存分に発揮できるけど、やはり長く親しんだ音楽は心地良い。 #trombone

STARDUST JAZZ TIME 7th5



本番、なんとか無事に終了しました。

この『STAR DUST JAZZ TIME』という催しは、埼玉県川越地区で活動するビッグバンドが集まって開催される合同の演奏会みたいなもの。
自分みたいになかなか他のバンドと触れ合う機会が少ない人間にとってはなかなか有り難く刺激的なイベントなのだ。

今年より工場移転の為、参加出来なくなってしまったヤマハ埼玉工場のビッグバンド『Swing Park Jazz Orchestra』の代わりに東洋大学の『Groovy Sounds Jazz Orchestra』が参加することになった。学校バンドのクオリティの高さに触れるのも楽しみの一つだ。

我がJoyfulSoundsJazzOrchestraの演目は下記の通り。
(1)I DON'T CARE ANY MORE
(2)SWITCH IN TIME
(3)TRACES
(4)海の見える街
(5)A NIGHT IN AUGUSTA

SWITCH IN TIMEはネスティコなので比較的オーソドックスなリードの醍醐味があるのだが、今回は変化球アレンジの曲が列んだイメージ。
残念なことに個人的なピークが前日のゲネプロにきてしまったので、本番は若干潰れ気味。

【寸評】
■ChildSeat
埼玉に在住する大学生ビッグバンドのピックアップ。明治大学バンドの四年生が中心になっているらしい。回を増すごとに素晴らしい演奏を楽しませてくれる。トランペットのバランスなどは素晴らしかった。更に明大四年生のリードトロンボーンのソロは上手かった。
■小江戸ジャズクラスター
ここは一貫して熱帯ジャズ楽団のコピーをしているバンドで今回もラインナップを揃えてきた。ブラスはよく鳴っていたと思うが、全体的にオーバーフロー気味で音程が少し残念だった。
■東洋大学グルービーサウンズジャズオーケストラ
今回はなんとジュニアの演奏も聞けたのでお得だった。
レギュラーも含めて細かい部分でのミスが目立ったのは残念だが、よくもまぁ、あれだけの難しいフレーズをしれっと吹けるものだなぁと感心。流石、学バンというところなのだろうか。

精度という部分ではウチもこれから第一に掲げる課題にしなければならない。
トランペットに正規のリードが不在にしており、我がトロンボーンもバストロンボーンが空席。当然、華やかさでは不利な状況である。
しかしながらピッチやアインザッツ、アーティキレーションなどをしっかり表現が出来れば質の良い音楽は奏でられる筈なのだ。

今回は助っ人のリードトランペッターに随分と助けられた部分が大きい。
しかしながらそれも支えるべきメンバーの演奏がなすべことをしていれば更に効果が上がっていた筈なのである。

まだまだリード以下のトランペットは鳴っているだけの範疇だし、トロンボーンもまだ一体感に欠けノリを演出するには至らない。
こうした多数の課題を整理しながら限られた時間で効果的なリハーサルを重ねていかなければならないのだろう。

よく自分がコンマスだった場合にどのような試作をもって取り組むのか思案することがある。
・・・
確かに難しいのだ。
時間に大きな制約を抱えながらのことである。
殆どは各々の自助努力に頼るしかない。せめて譜読みだけは。

次のステージも間近に迫っている。
来年のこのステージに向けてしておきたい準備もある。

余韻に浸っている暇はなさそうだ。続きを読む

補整と仕掛5

朝から土曜日リハの録音をチェック。

細かい部分でマズかったところとか、雑な部分を最終リハーサルまでに補整しないとね。

会場がエアコンが使えないせいで音程が目茶苦茶だったのは不可抗力だったにしろ不安材料。
あとキメのフレーズはもっと魂を入れておかないとだね。

さて。
あとはどの辺に仕掛けていくかだね。
今回のリハで実験的につっこんだ企みが比較的ウマくハマったからね。コツも掴んだ。
あとはポイント落としと細部確認だけ。

週末が楽しみです。

BECQUETと心中5

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0f83da46.jpg
セクションリードに大切なこと。
エッジだとか輪郭、鮮明さ、レスポンスとかそういうこと。

BACH5Gも大切な『包容力』があって一体感の演出にはいいんだけどスピード感にかける。
少し名残惜しいけど次回以降の課題にしよう。

AntoineCourtoisのBequetModelで今回のステージは乗り切ろう。

そんなにビュンビュン吹く曲は少ないんだけど、あえてパワフルに仕上げたい心持ち。
まだあんまり吹き込むとバテちゃうんだけどね。節制しつつ。

微妙に奏方を変えているのでコントロールも冷静に。
取り敢えずウォームアップ時にはリップスラーとレガート中心。かつ立ち上がりのアタックにも気を使ってみる。

あれ?!
ひょっとして地道な努力が復調への道、開いていたりする?!(笑)

次回のリハーサルでは譜面の怪しい部分をさらっておかないとね。

Joyful Sounds Jazz Orchestra : Reharsal Report at 25th June 20115

出掛けの曇り空が不安だったけど、案の定、南浦和で乗り換え電車を待っていると夕立のような雨。
20110626_1123K000

こんな状態でも撮り鉄さんたちがカメラを構えていた。
効果なカメラが心配。


待ちに待った復調の兆し。
少しテンションがあがってしまいウォームアップで色々やりすぎて潰れてしまう自分
相変わらずだのぉ。

動画はSammyNesticoの『Switch in Time』。

何故かトランペットが充実している昨今。
人数で言えばなんと5人。本番は6人になるかもしれないかな?

期待していたBassTromboneのツテがなくなってしまい少しショック。
仕方ないので当初の予定通り気長に探すしかないかもしれない。続きを読む

リハーサル終了3

今回のリハ、トランペットが充実。
トラでお気に入りのT屋氏が今度のライブに参戦してくれることにもなった。
高校の随分下の後輩も来てくれそうだ。
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今回も二番トロンボニストがお子さん連れで来てくれた。
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おんぶしたまま吹いてもくれましたよ。
懸念していたバストロンボーンもお母さんトロンボーンが知り合いのツテをあたってくれるそうで助かる。
埼玉県から全国大会常連で出場している吹奏楽部の出身者。大学でも全国を経験しているそうなので期待大。
あと問題は自分の復調だけだね。

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20110611_1955K024


毎年この時期のライブが気持ちがのってるんだけどね。
・・・
ちょっとノらないんだよねぇ。
自分の不調だったり、曲目だったり色々理由はあるのかもしれないんだけど。
ん〜〜、なんとかなるんかなぁ。

リハーサル会場到着

05e41116.jpg

リハーサル会場に行く途中にある大使館チックなレストラン。
いつの間にか閉店していた。
残念。
いつか食事してみたかったのに。

今日は久しぶりにクルトワのマウスピースでいってみよう。

これからリハーサル

7db7bdbb.jpg

エビスビール呑んでバンドのリハーサルに出掛けます。

蒸し暑いね。

ジブリ DE ジャズ?!5

国立音大出身のリーダー(トランペッター)が結成したAKBBというフルバンドが演奏しているジブリの挿入曲のジャズチューン。
ビッグバンド★ジブリ
ビッグバンド★ジブリ
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譜面も発売しているので近々のステージで一曲やりそうだ。

細部に少し難解な所もあるんだけど全体的にビッグバンドらしさがちりばめられたアレンジなのでそれなりには面白いかもしれないね。

同じモチーフで女性ビッグバンドの東京ブラス・スタイルがジブリものでミニアルバムをリリースしている。
アニジャズ ジブリ
アニジャズ ジブリ
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こちらはオリジナリティ豊かで楽曲に対する解釈に深いものを感じる作品になっている。
またウルトラC的な見せ場はないものの肉厚で堅実な演奏スキルが求められる分、カバーは難しそうだ。

いずれにしろ久石譲ものをチューンするのは色々な意味で難しい。
良い意味で久石譲のジブリ音楽自体が高度なパロディだからだ。
「〜みたいなもの」を当然要求され製作されている筈だからだ。
つまりそれは造形として一度完了しているオーダーだから再構築には本質と掛け離れてしまうリスクを念頭しなければならないのだ。

AKBBは完全にビッグバンドのアレンジの妙に趣を置いた仕上がりとなった。
結果、原材とかけはなれた愉しみを前面に押し出すこととなる。
聞き慣れたジブリの名曲を汎用的なフルバンドチューンにした場合の違和感と新鮮さを味わう趣向である。

東京ブラス・スタイルはベースに原曲の主張を置きつつ、フルバンドやブラスの魅力を織り交ぜる方向性を見せた。用途起用方法によるが映像の中にも侵入出来そうな品質といってもいい。

いずれにしてもアレンジ、チューン、それらはつまるところオマージュでありパロディである。
本家をしっかり踏まえた理解と技量があってこそ昇華される。
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ご来場有難うござますm(__)m

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