本来であればコンスタントに継続したいのがバンド活動。
しかしながら社会人バンドマンとして正常化された生活があってのものだと俺は考えているのだ。

これまでに何度かの節目と遭遇する中でその活動を休止せざるを得なかった。
あるものは頓挫し、あるものは継続が叶った。

数少ない継続のケースこそがこのblogで活動報告をしてきたバンドである。

今回の転機は二度目の入院である。
しかしながらバンド活動の継続に対して思案するようになったのはその直前なので直接原因ではなくちょっとしたトリガーに過ぎない。

進退については未だ迷ってはいるものの、ここまでお世話になった場所だからね。
筋を通した決着が責務だ。

決着。
意思の表明。
タイミングもさることながら、そもそも機会が与えられることさえも保証などない。

仮に退くことになったとしてもバンドは何事もなかったかのように動いていくだろう。
それでいいと思う。
誰かが俺の責務はなんなく代行するだろう。
このバンドを紹介してくれた恩師が去った時、実際は死活的なダメージがあったにも関わらず、なんとなく補填策が施し納まったのだから。

寧ろ、活動の限界を感じるトリガーとして自分の中ではこれ以上ない喪失ではあった。

去就を検討する上でどうしても無視できない課題はある。
前述した恩師への面目だ。
紹介者としての面子を潰してはならない。
正直、自分ではやれるところまで頑張った自負はあるものの、それを決めるのはあくまでも遺された者達の評価である。

やり残していること、やりたかったことはまだまだある。
しかしその試行には賛同と総意としての明確な目的意識が必要とされるのだ。
この部分を主張することは調和を乱すことになり不要な軋轢を引き起こす。
・・・
そしてそれは不用意に自分の膝元で起こってしまっている。

どこかのタイミングで一度顔を出して判断の材料にしたいと思う。
子供みたいではあるけど、嫌われてまで活動するものではないからね。

今まで自分としては最大限に気を使ってきたつもりだし、ギリギリの選択肢て音楽性を選択することでやむない矛盾を糾弾されりのてまはもう俺に出来ることは何もない。

こんなになってまでこのバンドで俺の価値があるとは思えないからね。